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セルライト潰し専門店 パーフェクトライン THE PERFECT LINE

STAFF STORY

スタッフストーリー

私たちボディプランナーも、パーフェクトラインで変わりたいを
実現した女性の一人。皆さんの”変化のための行動”に少しでも
役立てたらと思い、8名のストーリーをご紹介します。

~私が辿ってきた人生の「線」~

原田春江 原田春江 2010年入社

■「負けず嫌い」で「おばあちゃん子」だった私

 
同級生と比べても背が高く、足が速かった学生時代。
私は「周りとは違う」という意識を持つようになり、そのうち自然と
「同年代には負けたくない」と考える負けず嫌いな性格になっていきました。
 
ただ、家庭環境は決して良いとはいえず、父が借金まみれになり、
母が家出をしてしまうような状況。おばあちゃんと一緒に住んでいた私は
気がつくと「おばあちゃん子」になっていました。
 
父の借金のせいもあって常にお金に苦労するような日々でしたので、
家族みんなで海外旅行になんて行ったこともありません。大学に行けるお金もなく、
高校を卒業してからすぐに働きはじめました。
 
 
中学生の時に“敬老会”のボランティアをしたのですが、
ちょっと傘を差しただけでも「ありがとう」と言ってもらえたのがすごく嬉しくて、
おばあちゃん子でもあったし、お年寄りの役に立つ仕事がしたいなと
思うようになっていました。
 
すると、高校に来ていた求人で“老人介護施設”の仕事があり
迷うことなく介護士として働くことにしました。
 
夜勤があるのは大変でしたが、人にも恵まれたし
楽しかったのであまり苦労を感じたことはありませんでした。
 
 
介護士として働いていたある日、
一緒に働いている友人に勧められてエステを体験しに行きました。
 
そして、その体験がとても良かったので、1年くらい通うことにしたのです。
エステに通ううちに、段々と綺麗になっていく自分。
綺麗になることで自分の気持ちも前向きに変わっていくのを感じました。
 
エステで働いている人も綺麗だし明るいし、「こんな仕事もいいな」と思うように。
そして介護士として3年半働いて「もう充分やったかな」と思えた頃、
私はエステの世界に入っていきました。
 
 

■ただただカッコよかった、田中由佳さん

 
入ったのはトータルエステの会社で、いくつか店舗がありました。
違う店舗にいる先輩で、社内でも有名なとても仕事ができる人がいました。
 
それが今の神美の社長である、田中由佳さんでした。
 
カッコいいし尖っているので、名前だけはよく耳にしていました。
その後、会議でお見かけすることもありましたが、すごいオーラだったので
「話しかけづらいなあ」と思ったものです。
 
しかし半年後、田中由佳さんと一緒に働くようになりました。
私のいる岐阜の店舗に副店長として来たのです。
 
田中由佳さんは朝から晩までずっと目標のためにガンガン働いていました。
ただただカッコいい。「すごい」としか言いようがありません。
その点、私は仕事で文句ばかり言っているスタッフでした。
 
そんな私に田中由佳さんは、お客様との接し方を教えてくれたり
前向きになれる言葉を掛けてくれたりしました。
その時に言われた「春江は、ぬるま湯に浸かったカエルやな」という言葉は
今でも強烈に覚えています。
 
「ぬるま湯に浸かったカエル」というのは、どういうことか。
 
全社的にみると私たちがいる店舗は上位に位置していたので“安定”していました。
その安定した環境に私が甘えている、という指摘をされたのです。
このまま「ぬるま湯」に浸かっていたら、いつかお湯の温度が上がっても
気づくことができずに行動が遅れて茹であがってしまう。
そんな話をされて、背筋が伸びたものです。
 
他にもたくさんの言葉を投げかけてくれました。
ダメなところも言ってもらいましたし、良いところも言ってもらいました。
なかなかそういうことを言ってくれる人がいないので、
私の人生観は大きく変わっていきました。
 
その当時、かけてくれた言葉はノートに書き留めていて、
今でも大事に残しているほどです。
 
 

■負けず嫌いな性格が災いして、退職へ

 
ただ、せっかく田中由佳さんにそこまで面倒を見てもらって前向きになるものの、
私自身の売り上げはなかなか上がらず、ついに私は
「この仕事が向いていないんだ」と思うようになっていきました。
 
同じ時期に入社した子もいたのですが、その子は売っていました。
私は負けず嫌いですから、売れない自分を認めたくなかった。
だから私は、会社に「辞めます」と言いました。
 
田中由佳さんには「何で辞めるん?」と聞かれましたが、
「いいんです。私はもういいんです」と振り切るように会社を出ていったのです。
 
そして私は、自分が得意としていた介護士に戻りました。
介護士なら慣れていますし、競うことはありませんから負けることもありません。
決まった給料をもらえるし、ボーナスももらえるし、安定しています。
 
しかし、1年もやると
嫌ではないけどでも何か物足りなさを感じてきました。
 
女性中心の職場なので、お化粧をしてオシャレすることもない。
安定しているせいなのか、向上心を持つ人もほとんどいない。
はじめはそれでも良かったのですが、段々とつまらなくなっていきました。
 
そこで私は、働きながら資格を取ろうと考えます。
 
勉強を重ねて「福祉住居コーディネーター」という資格を取りました。
でも、資格を取っただけで満たされることはありませんでした。
 
そこで次は、看護師の学校に行こうと考えました。
 
朝は実際に働いて午後から授業がある、という准看護師向けの学校を受験。
またしても勉強を重ねて合格することができました。
  
そして、もうすぐ入学するというある日。その日は私の誕生日でしたが、
田中由佳さんから1本の電話が掛かってきたのです。
 
「春江、誕生日やなあ。おめでとう」久しぶりに聞く明るい声に、私は嬉しくなりました。
「岐阜で新しくお店はじめたから遊びに来てよー」ということだったので、
入学まで時間もあったし遊びに行くことにしました。
 
そして、お店にお邪魔していろいろ話していると、
田中由佳さんから「一緒に働かない?」と誘われたのです。
 
私の心は揺れました。
 
 

■そして私は、田中由佳さんを選んだ

 
学校への入学も控えていたので、悩んだ末に
「学校に行きながら夜にバイトで行きますよ」と答えたのですが、
私のことを良く知る田中由佳さんは、笑いながら言います。
 
「学校なんて通ってもすぐ飽きるって」
 
学校に受かっていて入学金も払っていましたし、随分と悩みました。
 
でも、よく考えてみたのです。
田中由佳さんが始めたエステの会社なら、働いてみたい。
「働かない」という道を選んでしまったら、後悔するかも知れない。
 
田中由佳さんにも「後悔するかも、って思っているなら一歩踏みだしてみようよ」
と背中を押され、私は決断することにしました。
入学式の当日、神美から学校に連絡して入学辞退を申し出たのです。
 
そこでなぜ、“田中社長”を選んだのか。振り返って考えてみました。
 
それまで一番近くで見ていて思ったのは、
田中社長は皆のことを気にかけて、いいところも悪いところも言ってくれる。
生きるうえで大切なことを教えてくれるし、きっかけや気付きがある。
未来を切り拓いてくれて、付いていきたいと思わせてくれる。
 
なかなか言葉を並べるだけではまだ表せられない人ですが、
とにかく、この人に付いていけば人生はきっと楽しくなっていくだろう、
と思ったのです。
 
 

■お客様のひとことから「パーフェクトライン」が誕生

 
希望をもって田中社長の立ち上げた会社に入ったのは良いのですが、
とはいえ小さな会社です。
お客さんに喜ばれたいという思いから色々なエステをやっていましたが、
なかなかスタッフが定着しませんでした。
 
人が入っては辞め、入っては辞めの繰り返し。
ずっと不安定で、スタッフが3人だけになったこともありました。
 
当時は「働いてみたいと思ってくれた人にはきっかけを与えよう」
という考えで、誰でも受け入れていました。
 
でも、そのせいで色んな価値観を持つスタッフ同士のコミュニケーションが
上手く取れず、辞めていってしまう人が多かったように思います。
 
そんな不安定ななか、実は私も辞めようかと思うことがありました。
 
以前にも経験したスランプです。どうしても売れない。売上が上がらない。
またしても「やっぱり私には向いていない」と思うようになってしまいました。
 
ひとりで落ち込んでいるといつも田中社長が話しかけてくれて、
励ましの声を掛けてくれました。そして背中を押してくれました。
そのお蔭もあって、スランプを脱して何とか続けることができたのです。
 
 
そんなある日、たまたま一人のお客様から聞き慣れない単語を教えてもらいました。
 
当時、私たちがやっている施術のひとつに「セルライト除去」があり、
私たちは「セル除去」と呼んでいました。ただ、そのお客様は
「このお店って“セルライト潰し”で有名よね」というのです。
 
私はそのことを社長に報告しました。
「今日そういえば、お客様がこんなことを言ってました」と。
 
そこから社長が舵をきり、“セルライト潰し”に特化した「パーフェクトライン」が
誕生することになったのです。
 
その方向転換を機に、圧倒的にお客様の数は増えていきました。
「やって欲しい」という人が増えました。
 
今までのエステでは、やることが多いため色々な提案をしなければいけません。
でも“セルライト潰し”に特化すると、説明をしなくても「それをやってください」と
お客様から言ってもらえるのです。その変化に私は驚くばかりでした。
 
そこから私は店長を経験したり、続々と増える加盟店さんにお手伝いでお邪魔したり、
そんな役割を経験していきました。
 
事業が拡大していくと現場のレベルが手薄になってしまいがちです。
そういった点を修正してレベルを均一にするのは大変ではありますが、
日々力を入れているところです。
 
 
プライベートでは、お陰様で収入が圧倒的に上がっていきました。
昔から乗ってみたいと憧れていたBMWに乗ることもできました。
 
もともとお金の無い環境で育ってきたせいか、
「まだまだ稼ぎたい」という思いは強くもっています。
 
でも、そもそもの私自身のモチベーションは、お金ではありません。
負けず嫌いですから「人と同じは嫌だ」という考え方がベースになっています。
 
地元の同級生たちよりももっと稼ぎたいし、もっと仕事で輝きたい。
田舎臭い人間になりたくない。そんな思いが根底にあるのです。
 
 
これからの神美は、さらに拡大して事業も増えていきそうですから、
強い思いを持っていれば活躍の場は増えるはずです。
 
今の私自身、「ここを目指す」という明確なものはありませんが、
日々の目の前のことを一生懸命にやっていれば、おそらく道は開けてくる
と思うのでひたすら頑張っていくだけです。
 

■なぜ私が、迷うことなく神美を選んだのか

 
2018年3月に開催された全社パーティーでは、
神美が大きくなっていることを実感して嬉しくなりました。
 
3人しかスタッフがいなかった頃から田中社長は「神美を大きくする」と言っていましたが、
まさに言っていたことをどんどん実現されています。
普通なら会社が大きくなると守りに入りがちだと思うのですが、
どんどん進み続けて止まることを知りません。
 
大きく成長していく組織を見て、「田中社長と出会っていなかったら
自分はどうなっていたんだろう」なんて思ったりもしていました。
 
 
そんな中、社員の表彰式が行われて、私の名前も呼んでいただきました。
 
田中社長がいざ表彰をしてくれるという時、
気がつくと田中社長と私は一緒に泣いていました。
 
私は今までで一番つらかった時のことを思い出していました。
 
神美が立ち上がって4年目くらいのことです。
もう潰れてしまうのではないか、というほど苦しい局面がありました。
 
田中社長が社員ひとり一人とじっくり話をしながら、
苦境のなかで付いてくることができない子には辞めてもらおうとしていました。
苦渋の決断だったと思います。
 
結果、ほとんどのスタッフに辞めてもらうことになったのです。
「辞める?」と聞かれて答えに困っている子も多いなか、
私は一切迷うことなく「やります。やらせてください」と答えていました。
 
なぜ、すぐに返答したのか。
 
ひとつは、お客さんを困らせたくなかったからです。
懸命に接客をして、自ら契約をとって、お客様から信頼してもらって
任せてもらえるようになったのに、それを放り投げて
「辞める」という選択をするのは私にはできませんでした。
 
会社がどんなに苦しい状況になっても、責任をもってやらないといけない。
もちろん会社側はできる限り働きやすい環境を用意するべきですが、
それ以前にお客様は大切にしないといけない。だからこそ踏ん張ろうと思いました。
 
そしてもうひとつは、どんなに仲間が少なくなったとしても、
田中社長が立ち上げた神美をなくしたくなかったからです。
 

ステージ上では溢れる涙を拭いながらそんなことを思い出していましたが、
同時に「田中社長を泣かせてしまって申し訳ないなあ」
という気持ちで一杯でした。
 
田中社長にはこれからもっと、
「嬉し涙」をたくさん流してもらわなきゃいけませんからね。

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