~私が辿ってきた人生の「線」~
川端愛梨 川端愛梨 2014年入社
■“よさこい”ダンスが生活の中心だった学生時代
高校時代、私はダンス部に所属していました。
“ダンス”とひとくちに言っても、バレエのようなモダンダンスやヒップホップダンスなど、
何でもやっていました。
当初は「ダンスって何だかカッコいいな」と軽い気持ちで入ったのですが、
その学校の部活は“ゴリゴリの体育会系”だったのです。
化粧もあまりしないし、めちゃくちゃ厳しい。休日には大会があり、大会に出場する選手も毎回オーディションで選ばれます。誰かが合格すれば誰かが不合格になる。実力だけで全て決まるような世界で、かなり濃い高校生活を送りました。
大学は名古屋の外国語大学に進学しました。大学にはもちろんお金が掛かります。うちは片親で母しかいないのですが、その母親も仕事の都合で東京に行ってしまうことになり、一人暮らしをしながら奨学金を借りて学校に通うことになりました。
一人暮らしですからバイトをしないといけなくて、居酒屋や化粧品メーカーの店舗で働いていました。ただ、やっぱりダンスもやりたくて、大学の“よさこい”ダンスをするサークルに入っていました。
平日は“よさこい”の練習ばかりで、土日は各地で開催されるお祭りに参加。“よさこい”の仲間とは24時間一緒で、4年間ずっと“よさこい”と学校、そして夜中までバイトという生活でした。
大学も終盤になってくると、いよいよ就活です。ただ、それまで私はスーツを一枚も買ったことがありませんでした。大学の入学式も上下デニム。「外国語大学だからいいんじゃない?」と思っていました。実際はかなり浮いてしまいましたが、堅い恰好に抵抗があったのです。
■企業の説明会や面接は、納得いかないことばかり
就活サイトを見ていたら、説明会だというのにスーツ着用を義務付けている会社が数多くありました。
私はどうしてもスーツを買う気になれず、スーツ着用に納得することもできず、「私服 面接」で検索して会社を探しました。その検索でヒットしたところに行こう、と考えたのです。スーツを買えば済む話なので、自分でも「自我が強いな」と思いますが、どうしても納得いかなかったのです。
そして、その検索結果の中に、神美もありました。
ただ、就活で「私服OK」と書いているのに実際にはスーツで行く人が多かったので、会場に行ってみたら私以外が全員スーツだったんです。一人だけ目立ってしまったせいで、田中社長からも「今日は買い物帰り?」と声を掛けられ、「ああ、終わった……」と思いました。
その場で一次試験だったのですが、無理だと思っていたら合格していました。その時、「え、私のことを受け入れてくれたのかな?」と感じたのをよく覚えています。
それからも視野を広げるために他にも色々な会社を受けてみようと思い、嫌々ながら自分のポリシーを曲げてスーツを購入。いくつかの会社の面接を受けていきました。
ある会社では“その場で営業をさせられる”ということを経験しました。パネルが用意され、そのパネルをお客様に見立てて、実際に話しかけるという試験があったのです。みんなでパネルに向かって「こんにちは!」などと話しかける異様な光景が広がっていました。
私もやりましたし、アルバイトでの経験が活きて自信もありましたけども、一方で「なんだこれは……」「サービス業って大変だなあ……」とも思いました。
他にも、ある大手企業に面接に行くと、グループ面接を受ける人が同時に30名ほどいたのですが試験官は2人しかいない、ということもありました。グループで色々な議論をしながらも、「試験官は私たちをちゃんと見ているのかしら……?」などと疑問に思ったりもしました。
そんな納得のいかない就活を続けるなかにあって、神美は少し違いました。
面接ではとにかく私のことを聞いてくれたんです。私に興味を持ってくれた、という驚きがありました。他社の面接のような「試されている」という感じではなく、むしろ「知ろうとしている」という感じでした。
■カッコいい女性の活躍に憧れて
田中社長の対応も他社とは異なり衝撃的なものでした。気軽に私たちに話しかけてくれ、「女性が輝く社会」について熱く語っている姿がカッコよく映りました。
私自身、昔からカッコいい女性に憧れていました。ダンスをやっていると、必然的に海外の女性アーティストに魅かれます。リアーナやビヨンセなど、カッコいい女性がカッコいいダンスをしているからです。神美の面接で社長の話を聞いている時、そんな海外アーティストと重なる部分を感じました。
そして、神美での面接も順調に進み、そんなカッコいい田中社長に最終面接をしてもらうところまでいきました。しかし、ありがたいことに他にも幾つか面接は受かっており、神美と同じ日に他の最終面接があったのです。場所は東京でした。
最終面接の段階ですでに選択を迫られ、悩みました。ただ、冷静に考えると、東京の会社は「就活するぞ」という感じで構えて挑戦していた会社でした。ですから、「自分を作っていた」のです。そうではなく、「自分を出せる」「ありのままで受け入れてもらえる」という点を重視し、神美の最終面接に行くことを選びました。
最終面接では、かなりじっくりと話をさせてもらいましたし、社長も「女性の仕事感」や「会社のビジョン」などを語ってくださり共感する部分がありました。「これからは女性がもっと自立せなあかん」と、女性が活躍する社会をイメージされていましたが、その話を聞いたとき、私自身のそれまでの就活を振り返って刺さるものがあったのです。
就活のなかで、私自身は転勤など全く問題ないので「転勤できます!」と正直に伝えても「ほんとに?」と疑われてしまいました。「女の子って普通そういうこと自分から言わないよね」とか、「そう言いながら辞めちゃう子、多いんだよね」などと言われました。ひどいところでは、「女性は結婚とかして辞めるだろうから、そうなったらまたすぐ新しい人を採用しますので」などと口にする会社もあったほどです。
「まだまだ社会は女性に厳しいんだな」と残念な気持ちになっていたので、田中社長の描いていた「女性が活躍する社会」のイメージに共感を覚えたのかも知れません。
そして、神美での最終面接も無事に通過して、晴れて入社することになりました。
■撃沈からのスタート
入社したのは2014年です。女性が活躍する社会を実現するために入った会社でしたが、入社直後はそれどころではなく、早くも撃沈してしまいます。
あらかじめ神美からは「春休み中、早めにアルバイトとして来ていいよ」と言われていました。ただ、その店舗が駅に近い場所では無かったので、車で行く必要がありました。私は車の免許を持っていなかったのでアルバイトは断念していたのです。
ところが、4月1日に入社してみると、同期入社の8人は私以外全員が既にアルバイトをしていました。必然的に私よりも色んなことを知っていて、会社にも馴染んでいて、大汗をかきました。
当時は先輩も2人しかおらず、教育体制も整っていませんでしたので、必然的に同期に仕事を教えてもらう羽目になりました。新卒で入社して、同じく新卒入社した同期に仕事を教わるという状況。傍から見ると「やってしまった」という感じだと思います。完全にスタートダッシュで盛大にコケた形ですから、精神的にも辛い状況かと思われるのですが、問題はありませんでした。
私自身、“よさこい”の活動によってメンタルを鍛えられていました。
女性ばかりの環境で、厳しいオーディションにさらされ、実力だけで浮き沈みする世界。そんな世界での生活に慣れていたせいもあって、悔しいとか苦しいなどという苦痛は全くありませんでした。「早く皆に追いつかなきゃ!」という焦りだけです。そして、同期入社のメンバーに教えてもらいながら、仕事を覚えていきました。
ただ、新卒の私たちは基本的な雑用だけでなく施術の“デビュー”をしなければいけませんでした。しかし、社長から言われていた期間までに、新卒の8名は全員デビューすることができずにいました。さすがに施術については先輩から教わらないといけないのですが、先輩も日々のお客様対応で忙しくされており、なかなか聞けずにいたのです。
しかし、いつまでたってもデビューをしていない状況を見て、社長からものすごく怒られました。私たちの姿勢が受け身すぎたので当然です。ある時、「で、誰が覚えるの?」と同期全員が聞かれました。とにかく誰かが早く覚えないといけない。施術を受けようとしてくださるお客様は増えているのだから、待たせてはいけない。焦った私は一番に手を挙げて、必死に学んでデビューすることにしたのです。
社長から怒られて萎縮してしまった社員もいたのかも知れませんが、私はそんなことはありませんでした。これもダンスを経験していたお陰です。間違った振りをしたりリズムが取れなかったりすると、いつも怒られてばかりでした。仕事で間違ってしまうとお客様に迷惑を掛けてしまう訳ですから、間違わないためにも早めに注意された方が良いと思うのです。
入社当時は1店舗11名の会社でしたが、その後1年間で60店舗にまで拡大していった時期ですから、他にも様々な面で負荷が掛かりました。1年目で店長を任されることにもなり給料もある程度もらっていましたので、ある程度の負荷がかかることは予想の範囲内でした。分からないところがあれば社長からも直接指導してもらったり、一人でひたすら勉強したりすることもありました。
拡大期という大変な時期を過ごしてきたので、よく「辞めたいと思ったことは無いですか?」と聞かれますが、全くありませんでした。むしろ、「辞められたら困るな」という意識でした。店舗のスタッフから相談されて辞めてしまいそうだったりすると、とても焦るのです。お客様に迷惑を掛けてはいけませんから、店舗の運営が回らなくなってしまうことを常に恐れていました。
■今のままではいけない、という焦り
そんなことを考えながら日々動いていたら、いつの間にかパーフェクトラインが行う新しい取り組みの先陣を切ることが多くなっていきました。全国展開をする際に、“スタートアップトレーナー”として全国を飛び回って店舗を安定的に増やしていく役回り。そんな役回りになっても、悩みは尽きないものです。
最近感じているのは、自分自身の“役職者としての自覚の足りなさ”。パーフェクトラインがここまで拡大してきたのはほとんど社長の力なので、“社長ありき”の会社になっている状況は良くないと思うのです。随分前から役職を与えられているのに、日常の業務だけに慣れてしまっている自分を情けなく思います。「今まで何をしてきたんだろう」「もっと上に行けたはずなのに」という思いを感じずにはいられません。
先日、全社イベントの表彰式で7位として表彰いただきました。会社のイベントで、皆の前で表彰されるというのはありがたいことなのかも知れません。ただ、私の立場で7位だったらマズイのです。私自身は「情けの7位」だと受け止めていて、皆の前で表彰をされていても、焦りしかありませんでした。
今は順位がどうとか言っている場合ではなく、パーフェクトラインをしっかりとした「会社」にしなければいけない。社長には社長としての仕事をしてもらわければいけない。今まではよく言えば「アットホーム感」に包まれていましたが、悪く言えば「なあなあ」な感じになっていたようにも思います。これからは組織を大きくするためにも、個々が自らの職務を強く意識しなければなりません。
■大きくなるために、変わらないといけない
私自身も今までは、会社の体制を整えたりマニュアルを作りこんだり「目の前のこと」に必死でした。それ以外にやらなきゃいけないことがあると分かっていても、忙しさにかまけて動かなかった。その分、社長が動いていました。社長は優しいので、みんな甘えてしまっていました。
ただ、事業を拡大し続けるパーフェクトラインにおいて、人が足りない、というのはずっと抱えている悩みでもあります。ですから、人を育てるというところに力を入れていかなければなりません。人を育てるというのは“会社を作る”活動とも言えるでしょう。これまでは、自分たちがやりやすい環境しかできていなかったのですが、「人が育つ環境」「働きやすい環境」を整えないと会社は伸びていかないのです。
そのために、研修自体も常にアップデートしています。毎回クオリティを上げていますが、それだけでなく“研修する人の育成”も進めていかなければなりません。私自身がずっと研修トレーナーをやり続けて終わるわけにはいかないのです。
会社も個人も大きくなっていくためにも、変わっていかないといけない。今いるマネージャーたちの意識も変わってきていると思います。私たちが変わらないと会社は変わりませんから。
今までは自分の許容範囲でやっていましたが、それを越えなければ変化は起きません。私自身も、入社時はまさかトレーナーをやって多くのスタッフを教える立場になるとは思っていませんでした。人は変わるものなのです。
ただ、振り返ってみると“よさこい”でも“演技部”と呼ばれるダンスを教える担当者を任されていました。今の私は、すべて“よさこい”の時に培われてきたのかも知れませんね。
そういえば随分前に、知人が「仕事が疲れるから、もう実家に帰ってゆっくりしたい」と言っているのを聞いたことがあります。その時、とっさに思ったのが「私には帰る実家なんて無いのに!」ということでした。
私の家は片親で母しかいませんが、その母親も仕事の都合で東京に行ってしまっています。家族それぞれ自分の生活がありますから、これからもずっと自己責任で生きていかないといけないのです。
でも、決してそんな未来に悲観しているわけではありません。
この会社で「変わらなきゃ」と思えた自分の未来が、楽しみになっていますから。
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