STAFF STORY

スタッフストーリー

私たちボディプランナーも、パーフェクトラインで変わりたいを
実現した女性の一人。皆さんの”変化のための行動”に少しでも
役立てたらと思い、8名のストーリーをご紹介します。

~私が辿ってきた人生の「線」~

菊地希 菊地希 2017年入社

■負けず嫌いな部活少女、東京に憧れる

 
私は、秋田県で生まれ育ちました。
 
共働きの両親のもと、兄が2人いる3兄弟の末っ子です。
高校時代はバスケ部に所属していましたが、ものすごく真面目に取り組んでいました。
 
兄が2人いたせいか、小さい頃から負けず嫌いな性格で、
バスケでも負けるのが本当に嫌いだったのです。
 
高校生というと遊び盛りの時期でもあると思いますが、バスケ部の監督が厳しくて、
少しでもだらけているとすぐに走らされてしまいます。
だから私たちは羽目を外したりすることもなく、真面目に取り組むしかありませんでした。
真面目に部活に取り組んでいましたので、負けず嫌いな私は
「どうせ試合をするのであれば一番を目指したい」という思いを持った
選手になっていました。
 
全く遊ぶこともせずに部活に取り組む日々でしたが、
もちろん遊びたい気持ちが全く無かったわけではありません。
 
ただ、免許も持っていませんから遠くに行くこともできず、
夜遊びをしてみたいと思っても、そもそも遊ぶところもありませんでした。
 
修学旅行で東京に行った時のことです。
ディズニーランドをはじめ、渋谷や青山、銀座などの街も回っていく旅行でしたが
とても刺激的で楽しく、その日を境に東京に憧れるようになりました。
「高校を卒業したら秋田を出たい」と、強く思うようになっていったのです。
 
しかし、大学に進学するという選択肢はありませんでした。
大学に行くにはお金が掛かりますし、2人の兄も大学には行っていません。
共働きで忙しくしている両親に対して私だけが「大学に行きたい」と
ワガママを言って、迷惑を掛けるようなことはしたくありませんでした。
 
そこで、「東京で就職をしたい」と親に言ったのですが、すぐに反対されてしまいました。

「一人しかいない娘を東京に出すなんて心配だ」というのが理由でした。
 
それでも東京への思いを簡単に諦めることができなかった私は、何度も何度も
東京で働きたいと親に訴え続けました。
すると親が「東京にいる親戚の家ならいいだろう」と折れてくれ、
親戚が東京・京橋でやっている懐石料理屋さんで働くことを許してくれたのです。
 
そして、高校卒業と同時に東京に出て、親戚の家に住ませてもらいながら
懐石料理屋さんで働くことになりました。
 
 

■エステに憧れて、懐石料理屋を逃げ出した

 
働き始めてすぐにお金を貯め、一人暮らしもさせてもらいました。
1年くらいして落ち着いてきたある日、友達が通っていたエステに誘われました。
 
私も行ってみると、すぐにエステに興味を持つようになったのです。
それからというもの、働いて稼いだお金はほぼエステに費やしていくようになりました。
エステのどこに興味を持ったのかというと、行けば行くほど綺麗になれること。
自分自身が変わっていくのが嬉しくて仕方ありませんでした。

通い続けているうちにエステのスタッフとも仲良くなっていったのですが、
ある時にスタッフの方が「お客さんにありがとう、って言われると嬉しいんです」
という話をされました。
 
私もそうやって「人が変わっていくお手伝い」をして感謝してもらえるような、
そんな仕事をしたいと思うようになっていったのです。
 
実は、働いていた懐石料理屋では“変わっていく自分”を出すことが出来なかったので、
苦痛になりつつありました。
 
着物は自分で着なければならないし、
歩き方にも気を使わないといけないほど窮屈で、自由に動けませんでした。
髪の色も絶対に黒でないとダメですし、ピアスも付けることができません。
お店の雰囲気もありますので、メイクも薄くしないと怒られてしまいました。

エステに通い始めて変わっていく自分。
でも、自分を出すことができない職場。
「もっと遊びたい」「自由になりたい」と思って東京に出てきたはずなのに、
不自由になっている日々に不満を持つようになっていきました。
 
日に日にエステで働いている人たちがとても羨ましくなっていき、
「私もエステで働きたい」と強く思うようになりました。
そこで私は、意を決し親戚でもある懐石料理屋のおかみさんに伝えましたが
反対されてしまいました。親にも相談しましたが、親にも反対されてしまったのです。
それでも私は、「辞める」と言って聞かず、懐石料理屋を逃げるように辞めたのです。
 
親戚のおかみさんは怒ってしまいました。
すると、親に「ひとまず帰って来なさい」と言われ、私は秋田に帰ることになったのです。
 
 

■再び東京へ行き、忘れていた憧れが甦る

 
お世話になった親戚の職場を逃げるように辞めてしまった私。
親にもものすごく怒られるかと思ったのですが、秋田へ帰ると
親は「まあ、自分の人生だし、いいんじゃないの」と言って許してくれました。
しかも、次に何をやれとか、どうしなきゃいけない、などと
口うるさいことを言われることもありませんでした。
 
そこで私はまずバイトをして、ある程度お金を貯めた1年後に
再び東京に遊びに行きました。
最初は遊びにだけ行くつもりだったのですが、その時に住む家も決めてしまいました。
同時に働けそうなエステも探してみたのですが、どこも資格が必要で
なかなか見つかりません。
 
とりあえず住む家を見つけることができたので、
親にも「また東京へ行く」と告げて許してもらうことに。
東京でバイトをしながらエステの仕事を探していくことにしたのです。
 
しかし、私はそこから「バイトが楽しい」と思うようになってしまいました。
 
当たり前の話ですが、バイトは好きな時間で働けますし、休みも自由に取れます。
徐々に「しばらくは、このままでいいかもな」などと思うようになっていきました。


そこから3年間、ずっとフリーターです。
夜はずっと飲食店で働いていましたが、昼のバイトは転々としていました。
 
あるバイトでは店長と揉めてしまって逃げるように辞めて、
あるバイトでは他のスタッフと合わなくて逃げるように辞めて、
そんなことを繰り返しながら転々としていたのです。
 
バイトが休みの日には友達とディズニーランド行って遊んだり
バイトが終わってからは朝まで飲み明かしたりの繰り返し。
 
気が付けば以前に抱いていた「エステで働きたい」という思いは消えていました。
 
3年が経ったある日のことです。
「パーフェクトライン」のチラシを目にする機会がありました。
たまたま友達が体験に行ったということで、話を聞いたのです。
すると、気になって気になって我慢できず、私も行くことにしました。
 
店内に入ると、EDMの曲がガンガン流れています。
そして明るいスタッフさんの接客。
ものの数分で「このエステで働いたら楽しそう」と思いました。
そして、今までずっと抱いていたはずの「憧れ」が甦ってきたのです。
 
「この会社に入りたい!」お店を出るころには、そう強く思っていました。
 
そして後日、私はパーフェクトラインの面接を受けていました。
面接を担当してくださったのは、炭竃店長です。
すごくカッコいい女性で、一瞬で「この人みたいになりたい」と思いました。



そして、ついに長年の憧れが叶い、2017年1月に入社することができたのです。
 
 

■私には、辞められない理由がある

 
入ってみると、楽しいことばかりでした。
先輩たちは優しいし、よく声を掛けてくださいます。
 
ただ、数字への責任を持つという点が大変でした。
数字への責任というのは、今までのアルバイトでは経験してこなかったことです。
 
正社員ですから当たり前なのですが、それはもう「辞めてしまいたい」と
逃げ出したくなるようなプレッシャーでした。
 
でも、辞められない理由が私にはありました。

パーフェクトラインへの入社には親も喜んでくれました。
そんな親を悲しませるわけにはいきません。
自分自身も、もう逃げたくありません。
ずっと親には迷惑や心配ばかりかけてきて、私自身もずっと逃げてばかりだったのです。



そう思いながら踏ん張っていた入社5か月目のことです。
 
配属先の店長が辞めてしまいました。
ずっと一緒に頑張ってきたのに、何だか裏切られたような気分を味わってしまいました。
 
モヤモヤしていると、社長がすぐに来てくれて色々と話をすることになりました。
その話の中で、
「いきなり店長は無理だけど、店舗責任者になって欲しい」と言われたのです。
入社5か月目で店舗責任者だなんて、荷が重すぎます。
でも私はそこで「やるしかない」と腹をくくり、「やります」と決意を口にしていました。
 
しかし、決意だけで仕事は身につきません。
川端トレーナーに助けてもらいながら、責任者としての仕事を覚えていったのです。
 
それから1年と少し経った頃、私は晴れて店長になることができました。



店長としての今の目標は、私がいる店舗を一番にすることです。
やるなら何でも一番がいいです。昔から負けず嫌いですから。
 
そのために何をしなければいけないかと言うと、まずは自分が一番結果を出すことです。
一番結果を出しているその背中を見せなければいけません。

それは田中由佳社長からも言われていることなので、常に意識していることです。
 
それと、エステで働いているわけですから身だしなみも常に意識するようになりました。
お陰様で収入も良くなったので、
プライベートでは月に一度は美容院やマツエクに通っています。
 
懐石料理屋に勤めていた頃と違って思う存分オシャレもできるようになり、
嬉しい毎日を過ごしています。
 
 

■両親にとって自慢できる子でありたい

 
まだ入ったばかりの私がなぜこんなに頑張れるかというと、
親に認められたい気持ちがあるからです。
 
私は、秋田にいる両親にとって自慢できる子供でありたい。
 
ひとりしかいない娘なのに、秋田を出て東京で働くことを許してくれました。
懐石料理屋を逃げて親戚に怒られても、帰れる居場所を作ってくれました。
実家に帰ってフリーターだったのに文句も言わず、また東京に出してくれました。
ひとり娘にもかかわらず、です。
 
だからもう私は、ただでは帰れません。
自分の店舗が一番になるぐらいでは足りないのです。
 
いつか秋田に帰る時が来たら、
親に胸を張って自慢できるような大きな“結果”を持ち帰りたい。



そしていつか、家族全員を旅行に連れていってあげたいです。
両親は共働きで忙しくしながら、私たち3人の子供を育ててくれたのですから。

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