STAFF STORY

スタッフストーリー

私たちボディプランナーも、パーフェクトラインで変わりたいを
実現した女性の一人。皆さんの”変化のための行動”に少しでも
役立てたらと思い、8名のストーリーをご紹介します。

~私が辿ってきた人生の「線」~

徳原さゆり ~私が巡ってきた人生の「線」~

■我慢に我慢を重ねた結果、金色の髪に

 
私は栃木県の山奥で育ちました。
お年寄りがたくさん住んでいて、野生の鹿も出てくるような地域。
近くを走るバスの最終停留所が「山の神」というくらいですから、
その雰囲気がお分かり頂けるかと思います。

高校時代は部活を引退してから、放課後に友達と遊ぶといっても
カラオケに行ったりファミレスに行ったりする程度。家が厳しかったことに加えて
バスの最終時間も16時台ですから、そもそもあまり遊べませんでした。
 
高校卒業後は、担任の先生に言われるまま和菓子屋さんに就職しました。
その和菓子屋さんは観光地に近かったせいか、観光シーズンなどの繁忙期には
忙しくなりました。ただ、実家が飲食店をやっていて繁忙期にはよく手伝っていましたので、
お店というのは忙しくなるのが当たり前だ、と思っていました。
 
しばらく働いていると「店長にならない?」という話を持ちかけられました。
でも私は、責任が増えることにプレッシャーを感じ、辞めたくなってしまいました。
ただ、周りをみても辞めている人は体調不良や病気が理由だったので、
「そんな理由で辞めるのはダメだろうなあ」とも思っていました。
 
実は辞めたい理由は責任が増えることへのプレシャーだけでなく、
他にもたくさんありました。
 
同い年の大学生は土日遊んでいるのに、飲食店に勤める私は土日が忙しくて遊べない。
友達はネイルや髪色を変えているのに、
和菓子屋さんの私は爪も短く髪も黒くしなきゃいけない。
 
さらに、試食ということで毎日お団子を食べなきゃいけませんでした。
もともと和菓子は大嫌いだったので、それも苦痛だったのです。
 
一日中、和菓子ばかりを食べる生活が続き、気が付くと
入社時から10kgくらい太ってしまいました。
健康診断で「メタボリックシンドローム」と言われてしまったほどです。
 
そんな状況でも我慢しながら働くこと3年。
 
「そろそろ限界だなあ」と思うようになった私は、せめてもの抵抗として髪を金色に染め、カツラをかぶって隠しながら仕事をしていました。



しかし、ある時に限界を超えてしまった私は
「すみません、もう辞めたいです」と言いながらカツラを取り、
「私、こんな髪なんですよ!」と告白しました。
 
そうして飛び出すように辞めた私は、
次こそは“ゆるい”会社を見つけて転職しようと考えたのです。
 
 

■自分が働きたい会社に気付きはじめる

 
和菓子屋さんを辞めてから1ヶ月くらい遊ぼうと思ったのですが、
10日くらいで飽きしまい、すぐに働きたくなってしまいました。
「どうやら私は仕事が好きなんだ」と、ここで気が付きます。
 
お金もなくなってきて仕事をしていないことが辛くなり、急いで就職活動をしました。
入ったのは、適当に見つけた産業廃棄物処理業者で、事務の仕事。
適当に見つけた会社だったのですが、会社のほうも
「毎日来てくれればOK」みたいな適当なスタンスでした。
 
最初は経理を担当していたのですが、数字は間違うし、FAXは違う会社に送っちゃうし、
とにかく酷いものでした。

「どうやら私は事務が苦手なんだ」と、ここで気が付きます。
 
1日の仕事内容は本気を出せば30分で終わってしまうので、
出来るだけゆっくりやっていました。
でも、出勤して数字を前にゆっくり仕事をしていると、ついつい眠ってしまいます。
お昼に目を覚ましてご飯を食べたらまた眠ってしまい、目覚めるともう退社時刻。
 
さすがに「こんなんじゃダメだ」と思い、
自ら椅子を撤去して眠くならないようにしていたほどです。



「やりがいも無いし、もう辞めてしまいたいなあ」と思っても、もともと産休の人の
代わりに入っていたので辞めることができませんでした。
どうしても責任を感じてしまうのです。
1年半が経って産休の人も戻ってきたところで、ようやく辞めることができました。
 
辞めてから、私が働きたい会社の条件を改めて考えてみたのですが
「給料が良い」「日曜に休める」「髪色は自由」「体を動かしてやりがいがありそうな仕事」
などが挙がりました。
 
これらを条件にして検索したところ、3社しか該当しませんでした。
ですから、該当するすべての会社の説明会に行こうと考えたのですが、
その中に含まれていたエステの「神美」に関しては、一番後回しにしました。
 
 

■社長からの叱咤を受け、1位の座へ

 
なぜ神美が一番後回しかというと、
私は和菓子で簡単に太ってしまった人間ですから、
人様を綺麗にする仕事なんておこがましいと思ったのです。
エステなんて仕事はそもそもできないのではないか、とも思い込んでいました。
 
でも先に他の会社の説明会に行って雰囲気などを見てみると
「なんか違うな」と思ってしまいました。
そこで、後回しにしていた神美にも行くしかない状況になったのです。
 
緊張しながら面接を受けに行きましたが、とてもカジュアルな雰囲気で
「この会社なら楽しいかも」と思えました。
ダメだったらダメで仕方ないなと思っていましたが合格することができ、
2017年5月に晴れて入社しました。
 
入ってからすぐに受けた研修では、気持ちも最高潮まで高まっていきました。
覚えることも一杯だし、課題も多かったし、寝不足になってしまったほどです。
仕事中に寝ていた過去からすると考えられません(笑)
 
もちろん大変ではありましたが、同期の子たちと励まし合いながら
頑張って仕事を覚えていきました。


そして研修を終えて宇都宮店に配属になったのですが、
当時の宇都宮店は、残念ながら雰囲気があまりよくありませんでした。
 
スタッフもお客様とダラダラ世間話ばかり。全体的に皆がだらけていて、
最低限の仕事こそしますが「何かしなきゃいけない」という考えがなく、
それが当たり前の空気になっていたのです。
 
初めは違和感こそあったのですが、私も徐々にその雰囲気に染まってしまいました。
 
少しずつスタッフも辞めていき、伝染するように私も何となく「辞めたいな」と
思ってしまうのですが、急に辞めてしまうと残った人たちに嫌がられてしまいます。
誰かに嫌われるようなことはしたくないので、迷惑を掛けないためにも留まっている、
という日々が続きました。
 
そんなある時、本社の会議に出ていた人が辞めてしまったため、
私が代わりに会議に出ることになりました。
すると、久しぶりにお会いした社長から会議中に鋭い指摘を受けてしまいます。
 
「アンタなんなん? 研修の時と違うやん! ……落ちたもんやなあ。別人や」
 
私はとてもショックを受けました。
それまで自分がどんな状態にあるのか分かっておらず、誰かに何かを
指摘されたことはありません。
 
初めて自分のことを客観的に言われて、そのヤバさに気付くようになったのです。
 
その指摘がとても心に残った私は、会議で教わったことを少しずつ
実践していくようにしました。
そしてちょうどその頃、宇都宮店に元気な新人が入ってきたので
「よし、この子と一緒に頑張ってみよう」と考えたのです。
 
そしてある日、店舗ごとに売上を競う「社内キャンペーン」が
開催されることになりました。
 
新しく入った子と一緒にそのキャンペーンを頑張って取り組んでいると、
社長も宇都宮まで来てくださり「この店舗ならいけるよ」と励ましてくれました。
 
そして、その励ましに力をもらい、社内キャンペーンで
宇都宮店が1位になることができたのです。
 
しかし私は、それを機にさらに“自分のヤバさ”に気付くようになっていきました。

■私はこれまで、崖から落とされなければ飛べなかった

 
宇都宮店が1位になったことで、表彰をしていただきました。
大勢の前で表彰状をいただき、皆から「おめでとう」と言っていただきました。


でも私は、表彰されることが嫌でした。
 
称えられれば称えられるほど、「なんだ、やればできたんじゃないか」と思わされる。
褒められれば褒められるほど、今までの私のダメな部分が浮き彫りになっていく。
 
周りからどんなに「すごいね」と言われても、
ずっと恥ずかしい気持ちで「逆にスイマセン」と内心で謝ってばかりでした。
 
 
表彰された時もそうでしたが、神美に入ってからずっと感じていたのは、
「今までどれだけ周りに恵まれ過ぎていたんだろう」ということです。
 
私が住んでいた田舎では、家に帰れば近所の人が大根をくれましたし、
留守中に天気が悪ければ近所の人が洗濯物を取りこんでくれました。
高校卒業後の進路についても、先生が決めてくれました。
 
それだけ環境的に「恵まれている」というのは悪いことではないのですが、
自分が成長するうえではかえって“邪魔”で、恵まれ過ぎたからこそ
“主体的でない人間”に育ってしまったのではないかと思うのです。
 
何かトラブルがあっても「誰かが対応してくれるだろう」と思ってしまう。
いくら「やろうよ!」と言われても、自分ゴトに置き換えられない。
 
周囲の人たちがどんどん飛びかたを覚えて羽ばたいていくのに、
私は崖から落とされてようやく飛べる、という感じになっていたのです。
 
 

■ハングリー精神が強くなくても、この会社は楽しめるはず

 
もともと今までやりたいこともない人生だったのですが、そんなことを言うと
「やる気がないやつだ」と思われるかも知れません。
でも、そういうわけではないんです。
 
私と同年代の子や若い子たちは、時代的にも環境的にも恵まれているので
ハングリー精神が強くない子が多いと思います。
 
結婚もしたくないし、子どもも欲しくない。物欲がものすごくあるわけでもない。
だから、私が普段から心がけているのは、無理やりテンションをあげて
働きすぎないようにすること。「自分らしくない」ことはできないのです。
 
ある時、「もうキャパオーバーです」といって辞めていった人がいたのですが、
その人を見ていて羨ましく思ってしまいました。
「キャパオーバーです」ということは、
そこまで頑張って、頑張って、頑張りすぎて
ギブアップしてしまったわけです。
 
ふと自分自身を振り返ってみると、そこまで頑張れていない。
「頑張れるってすごいことだなあ」と感じてしまいました。



神美という会社では、「稼ぎたい」とか「上を目指したい」という
強い気持ちを持った人が多いかも知れません。
 
その最たる人が田中社長です。
社長はすごい人だと思いますが、正直なところ自分が「田中社長ほど頑張れるか」
と聞かれれば疑問です。
 
でも私は、そこまでハングリー精神が強くなくとも、自分らしくいられて
「何となく楽しい」と思える働き方ができれば良いのではないかと思っています。
それは仕事がラクだとか、仕事中に寝ることができる、ということではありません。
とはいえ、お友達感覚でワイワイ仲良くしてさえいればいい、ということでもありません。
 
ちゃんと「仕事」として取り組んで楽しめないと、続けられないと思うのです。
この会社に入って、最近になって、やっと「仕事って楽しいものなんだな」と
思えるようになってきました。
 
 

■責任も増え、忙しいくらいがちょうどいい

 
なぜ仕事が楽しいのかというと、焦りを感じるようになったからです。
そして、この会社で焦りを感じるようになったのは、
「足りない環境」のお陰です。
完璧な環境で完璧な人たちばかりだったら逆に面白くなくて辞めていたと思います。
 
「自分がやらなきゃ」と追い込まれたり、「何とかしなきゃ」と思う場面があったり
したからこそ、焦りを感じながら動き続けることができたのです。
 
私の「環境的に追い込まれると動き出す性格」を知っているのかは分かりませんが、
最近になって社長から様々な役割を頼まれるようになってきました。
そして、頼まれたこと全てに「頑張ります」と答えていきました。
 
自分が思っている以上の役割を任せてもらえるようになると、
単純に嬉しいですし、「出来るかな」と焦りますし「チャレンジしなきゃ」と思うのです。
 
そんなこともあって、ようやく「上の立場に上がってもいいかな」と
思えるようになってきました。
上の立場になれば忙しくもなりますが、忙しいくらいがちょうどいいです。
暇だと眠くなりますし(笑)、暇な時間なんて何もいいことはありません。



気がつけば今は自分より下の子が何人も入ってきて、
新しく入ってきた子が頑張ってくれているお蔭で私も頑張れています。
 
自分も頑張らなきゃ、という責任感もさらに強くなってきていますし、
「抜かされちゃうかも」という焦りもあります。
立場が上がってしまった以上、仕事が出来ないとマズイですからね。
 
 
新しく入ってきた子が伸びてきて、
私はまた崖から突き落とされそうなので、
しっかりと飛ぶ準備をしていこうと思っています。

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